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バッハ・コレギウム・ジャパン「マタイ受難曲」

クラシック2014-04-14 22:20

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4月14日、先月の「ヨハネ」に続いて、ミューザ川崎シンフォニーホールで鈴木雅明氏率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)による「マタイ受難曲 BWV244」を聴いてきました。1月から楽しみにしていたコンサートで、まったくの初心者の私は、関連本を読んだり、鈴木先生によるレクチャーを聞きに行ったり、あるいはいくつかの録音を聴き込んだりしてきました。その成り行きは、以前の記事でも書いています(マタイ受難曲に関する覚え書き | EPX studio blog)。

特に、最も新しいヤーコプス盤は寝ても覚めてもというか、移動中も家に居るときも、時間があれば聴いていました。もちろんドイツ語なのでただ聴いているだけでは分からなくて、対訳を参照しながら。なので、到底深くは理解できないまでも、ひと通りは、自分なりに消化した状態で今回のコンサートに臨みました。でないと、きっと良さが分からないと思ったのです。
そして、多分それが良かったんだと思うんだけど、アリアやレチタティーヴォの言葉が、音楽と同化して自然に入り込んできて、特別な体験ができました。

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BCJのマタイは、ヨハネと比べて驚いたのは、すごくゆっくりと、噛み締めるように演奏するんですね。鈴木先生が以前仰っていた、「マタイは瞑想のための音楽」という解釈とも無関係ではないんだと思います。第1曲から、しずしずと歩み寄るような出だし、I群とII群のコーラスの掛け合い、ソプラノ・イン・リピエーノの歌うコラールの旋律と共に天上から降り注ぐ、ミューザ川崎の巨大なパイプオルガンの音色!この時点で、ヨハネとは(どちらが上ということではなく)質的にまったく違う体験なのだと分かりました。

今回の席は、前回とは反対の2RA側だったのですが、良かったなと思うのはメインで演奏するI群のオケがよく見えたのと、角度的にコンティヌオの鈴木秀美さんと鈴木優人さんの活躍ぶりがよく分かった点です。序盤のBuß und Reu(大好きなアリアです)や、Erbarme dichのピッツィカートなどでは特に。

引退を発表されているゲルト・テュルク氏によるエヴァンゲリストは、ヨハネの回に続き本当に完璧で、安心してずっと身を委ねていたい感じ。第20曲のテノールのアリアは"Meinen Tod"(私の死)というフレーズが印象的な曲ですが、特に沁みました。

全体としてはゆったりとした演奏だった一方で、やはり後半の劇的な効果のある箇所ではメリハリが凄かったです。例えばソリストやコーラスは、ある程度先々の展開を踏まえて準備をするわけですが、"Barrabam!"の箇所では、突然立ち上がって合唱するのです。そしてLaß ihn kreuzigen、第46曲のコラールへと続く流れるような展開。

ソプラノのハンナ・モリソンさんのレチタティーヴォからのAus Liebeも、素晴らしい美しさで感激しました。でここからまた急転直下なんだけど、今回はここでたっぷりと余韻を残してからの、2度目のLaß ihn kreuzigenでした。私にとって、マタイ受難曲の魅力ってつくづくこの落差で、つまり預言の実現とかの教義的な側面には同調できないけれど、人間らしい愚かさに真っ直ぐに向き合おうとする真摯さや、切実な死生観にはある種宗教とかを超えた普遍的なところがあって、そこにバッハさんが完全無比な音楽をあてている。かように罪深く不完全な地上の人間が、音楽においてはperfectionを実現しているところがバッハの凄さだと思うのです。

途中休憩20分を挟み、ちょうど3時間半に及ぶ公演。大喝采のなかで考えたことは、私はこの年齢で遅まきながらこの曲に辿り着くことができて、しかもこういうコンサートを体験できたことは、今後ずっと自分の財産になるだろうなということ。そのうちBCJの過去の同曲の録音も探したりしつつ、長く聴き込んでいきたいと思います。

20140413 BCJ Matthaus Passion

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