マタイ受難曲に関する覚え書き
ヤーコプスのマタイ
ルネ・ヤーコプス(René Jacobs)によるマタイ受難曲BWV244を買いました。昨年2013年に発売されて話題になった作品で、タワレコとかでも大きく取り上げられていたし、たしかTwitterで福田進一さんかどなたかも絶賛していた。私もharmonia mundiのプロモーションビデオを見てからずうっと気になっていて、でも4,000円ちょっとするし、他にもまだ聴いてない録音いっぱいあるしという感じで迷っていたのです。
しかしこのビデオがまた素晴らしい。これは付属する46分の映像DVDからの抜粋なのですが、この録音の特徴が短く説明されています。通常は慣例的に左右に配置される2群の合唱団を、資料から推察されるトーマス教会での1736年聖金曜日の初演時に倣って、前後に配置したというもの。
サラウンドならともかく、自分の2chの音響で聴いてどうなのかという点に初めは懐疑的だったのですが、ちゃんと通して聴いてみるとこの効果は絶大で、第1曲の"Wohin?"からして奥からだんだんと迫ってくる。つまり、左右配置のときは客観的に捉えていた「見よ―どこを?―私たちの罪を」という掛け合いが、より立体的に、自分の問題として迫ってくるというか。第60曲のコール&レスポンスも、何ごとかが進行している空間の真ん中に立っているという当事者感がすごい。
結構な大編成ながら、オーセンティックな格式ばった悠然とした演奏ではなく、今どきの古楽らしいきびきびとしたドライブ感があって、すごく好きな感じでした。私にとって初めてきちんとCDで通して聴いたマタイが、この録音で良かった。
鈴木雅明氏によるマタイ受難曲レクチャー
4月にバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)によるマタイを聴きに行く予定です。それに先立ち、指揮の鈴木雅明氏による本作についての市民向けのレクチャーが、同じ会場のミューザ川崎で開催されるというので、行ってきました。と言っても先月1月21日の話なので、もうだいぶ経つのですが。手元のメモを参照しつつ、個人的に勉強になった点を覚え書きしておこうと思います。
場所はミューザ川崎の中でもちょっとした小会議室のようなところで、集まったのは平日の午後とあって相当なご年配の方が中心でした。というか、私も仕事の状況次第では行けなかったんだけど、なんとか都合をつけて。音大の学生でもなんでもない一般市民が、バッハの大家による講義を直接受けることができる機会なんてそうそうないし。
最初は、本作の成り立ちやキリスト教の礼拝についての基礎的な説明から。鈴木先生は平易な語り口ながら非常にテンポ良く、ユーモアを交えながら解説してくださった。新しく出版されたバッハ自筆譜の本の実物も見せてくれて(ものすごく大きい本)、この清書ではバッハ本人がインクを注いだ箇所や、赤字を入れた箇所なんかも克明に残っているとのこと。
マタイについて鈴木先生が繰り返し強調していたのが、本作は「瞑想」を目的にした作品であるという点でした。
12,3世紀までは「勝利の人」というイメージで伝えられたイエスが、第2回十字軍の敗北を経て、「受難の人」というイメージに変わる。またそれによる同情(compassion)から、その受難を追体験することを目的として生まれたのが15,16世紀におけるルター派の受難曲であるとのことですが、その大きなストーリーのなかで自分とイエスをどう関連付けるかという点に重点を置くほどに、その音楽は多声的、複合的になり、厳格な教義からは外れて行ってしまう。これを禁欲主義に対する敬虔主義(pietism)と言うそうで、これは敬虔な思いを表現したいという「私」の追求であって、マタイ受難曲は(ヨハネ受難曲よりも)このウェイトが比較的大きいことが特徴なのだそうです。
その説明なかで面白いと思ったのが、この音楽はつまり、教義に対する瞑想の「材料」であるために、あくまで「ドラマ」ではないのだということ。よくオペラのようにドラマチックだとされるし、確かにそういう側面もあるけれども、そういう見かたで見ていくと、確実にストーリーが破たんしている箇所がいくつもある(第41曲でユダが自殺したあと、第42曲でそのユダの視点でバスが嘆きのアリアを歌っているなど)。要するに、整合性のとれた物語なのではなくて、瞑想という役割に徹している。
続いて、レクチャーは楽曲についてのより具体的な説明へ。第1曲の合唱Kommt, ihr Töchter, helft mir klagenを例にとり、まずその役割についての解説がありました。
テクストを見ていくとこれは実は、本編の「ダイジェスト」なんですね。そのあとの楽曲から要点を引用してきて対話形式に組み込みつつ、18世紀には有名だったコラール(O Lamm Gottes unschuldig)もミックスして、全部の聴きどころをひとつにまとめている。しかも、対話部分とコラールのテキストは意味的に対応しているという、ものすごく巧みな構成になっているのでした。
音楽的にも、バッハらしい意味づけが散りばめられていて、まず冒頭の「タータ タータ…」という単調な通奏低音のテーマは、十字架を引きずって歩く重い足取りを表現している。また、その音がE(地上)から13音の階段を経てC(十字架)に達し、14音目で1オクターブ下のC(私)に至るという音型などが、ポジティフオルガンによる実演を通して示されました。
とこんな感じで、そのあともオーボエ・ダ・カッチャという楽器の象徴性について、作中に5回現れる印象的なコラールO Hauptvollについてなど、いろいろなトピックについての解説があり、この曲をこれから聴き込んでいくにあたって、すごくためになる話が聞けました。本もいくつか読んだけど、実際に音を聴きながら要点を絞って説明してもらうと、さすがに素人にも理解しやすかったです。
Laß ihn kreuzigen!
私にとって、ヨハネ受難曲はわりと合唱が中心で分かりやすくて、すっと入って行けたのだけど、マタイは登場人物の心境や、あるいは信仰者が個人的な瞑想に入るべきポイントを想像しながら聴かなければならないので、ずっと集中力を要するし、ハードルが高かった。それでも、第二部のペテロの否認以降の劇的な展開は、すぐに好きになれた。
DVDのなかで、ヤーコプス本人が49曲目のソプラノのアリアAus Liebeについて語っているのだけど、永遠に聴いていたいくらいの美しい音楽なのに、それは終わってしまう。しかも、その後に来るのが強烈なLaß ihn kreuzigen!(十字架につけろ!)という、非情な民衆によるフーガ形式の合唱というコントラスト。先のYouTubeのPVの冒頭部分はここですね。
ヤーコプスは、ここでは前のアリアからCDを止めずに続けて聴くべきだと言っていて、確かにこの落差の大きさこそが人間の罪(信仰を持たない私にとっての理解としては、人間の不完全性というか)の大きさであって、受難のストーリーの特色を表していると思いました。このあたりのことは、以前観た映画の感想にも書きました(映画『パッション』 | EPX studio blog)。
『リトルウィッチアカデミア』原画展
『リトルウィッチアカデミア』とアニメミライ~等身大原動画でみる作画の魔術~展に行ってきました。2月24日、秋葉原のアーツ千代田3331にて。残念ながら会期が短く、この記事を書いている今日が最終日なのですが、会場内の撮影とブログ等へのアップがOKとのことだったので、いくつかの写真とともに覚え書き程度に。
『リトルウィッチアカデミア』は、『グレンラガン』を作り、その後ガイナックスから独立して現在『キルラキル』を制作しているアニメーションスタジオ「TRIGGER」による2013年の短編アニメ作品。元々、文化庁による若手アニメーター育成事業「アニメミライ」の一環として制作されたそうです。そうです、というのは、私もこの作品を知ったのは劇場公開が終わったあとのことで、たしか去年グレンラガンに超ハマっていた(天元突破グレンラガン | EPX studio blog)ころ。
私はそれまで、アニメはそんなに熱心には追いかけていない方で、少なくとも原画とかに注目するような鑑賞の仕方は全然していなかったのですが、グレンラガンで完全に絵の魅力にやられてしまって。単に上手いだけじゃなくて、動かすことを前提としている絵の一枚一枚のパワーというか、そういう漫画などとはまた違ったアニメ特有の良さ。気づくまでは多分考えたこともなかった。
ちょうどその前後に、『リトルウィッチアカデミア』の続編制作を前提としてクラウドファンディングで費用を募るにあたり、本作がYouTubeで全編無料公開されていた期間があって、私はそこで観ました。25分の短い作品で、お話は単純明快、魔女に憧れて魔法学校に入学した落ちこぼれの女の子が、いろいろあって大活躍するみたいな感じ。短い時間にいろんな要素を詰め込んで、しかもかわいらしい絵がめちゃくちゃよく動くので、体感的にはもっと長く感じました。端的に言って、おもしろかった。
前置きが長くなりましたが、その原画の展示を中心とした「アニメミライ」の取り組みを紹介するイベントがあるというので、行ってきたわけです。なにしろ今、放映中の『キルラキル』にどっぷりハマっているし(『キルラキル』1クールめまでの感想とか | EPX studio blog)、吉成曜さんをはじめとして多くのスタッフが本作にも関わっていると聞いて。
会場のアーツ千代田3331は、中学校の校舎を改造したアート系の文化施設で、公園やカフェなども併設するちょっと不思議な空間でした。
展示の目玉というのがこの「等身大原画パネル」で、原画から切り出したキャラ絵を引き延ばして、空間上に立体的に配置することで、アニメーションならではの「動き」を前提とした筆致の巧みさを見せようというもの。
さらにおもしろかったのが、それがこのようにコマ送りで2次元の壁のなかに「入って」いくのです。生き生きとした線の魅力も、しかもその線の引きかたに一切迷いが感じられないあたり、つくづく職人技だなと思いました。以前はアニメーターって、漫画家とかイラストレーターと連続した地平の仕事だと思っていたのだけど、実はそれとはまったく違う職能が必要なのだなと。
原画を担当した若手アニメーターに対して、監督の吉成さんのコメントを記したパネルがそれぞれついていて、曰く、絵が上手くても、前後の動きや全体の流れを意識して、勢いを殺さないような絵でなければダメなんだというようなことでした。
たくさんの絵の中には、ほとんど視認できるかどうかというレベルの、動きの中に一瞬だけ入る絵もあって、その極端にデフォルメされた絵が入ることによって初めて、アニメーションとしてそれらしい動きになることがあるのも知りました。しかも、この原画と原画の間を埋める膨大な量の動画があって、それを全部人力で描いているというのは、(いまだに)にわかには信じられない。それこそ、どういう魔法なんだろうという。
他にも、吉成さん自ら原画を描き進める様子や背景美術が完成するまでの様子を定点カメラで捉えたショートフィルム、制作中の2014年の「アニメミライ」作品の関連資料など、思っていた以上に充実した展示で、行って良かったです。若手アニメーターの作品とは言うけれど、まったく素人の想像の範疇を超えた、卓越した職人の技を垣間見た気分でした。
Roland AIRAを触ってみて
ことの成り行きを全部すっ飛ばして書いてしまいますが、なんと、ローランド社の東京オフィスで、発売前の「AIRA(アイラ)」シリーズの実機を触らせていただく機会がありました。昨日24日のことです。本当に思いがけないことで…とにもかくにも、実際に間近で見てみて、そして音を聴いての感想をつらつらと書いていきたいと思います。
そもそも私は、モデルとなった実機TR-808、TR-909、TB-303を触ったことがありません。これらは、テクノを聴き始めたときにはすでにレジェンドになっていた楽器です。それこそ世代でいうと、MC-303から入った(1997年)世代なので、単音サンプルで909のキックならキックを加工して使うという経験しかなく、実機は雲の上の存在でした。
とはいえ、お金があったら実機を買い求めたかというと微妙なところで、今は今でやり方があるし、作りたい曲のゴールが明確であれば、実機でなくてもいろいろなアプローチがあるという考えでいました。制約のなかで工夫する、というのは、我ながらハードウェアから入った人間っぽい考えかたで、それによって回り道もいっぱいしたけれど、学んだこともたくさんありました。PCだけで作っていたころも、ハードウェアに戻ってきて試行錯誤しているいま現在も。
でも、実機さながらの「イメージした通り」の音が、最少の手順でリアルタイムに組み立てていける楽器があったとしたら。ローランドのAIRAは、これまでのいろいろな前提事項を覆してしまうが故に、自分なりのトラック制作プロセスを改めて考え直すきっかけになりうる製品でした。
TR-8
これがTR-8。詳細はメディアの記事や製品紹介の通りですが、要するに808/909ハイブリッドのリズムマシンです。先の記事(Roland AIRAの感想とレビュー動画のまとめ | EPX studio blog)でも書いた通り、私はこれ完全に買うつもりでいたのですが、実際に触ってみて、その思いが300%くらいになりました。まさにこれ、こういうのを待っていた。
実際に見てみると、このパネル上のツマミとフェーダーの密度、たまらないです。LEDがびっくりするくらい明るい。そして何より、16ステップのボタンを押し込む感覚、クリック感が最高に気持ちいいです。カチャッ、カチャッという感じ。比べるつもりはないのですが、私の場合ほかに経験がないのでElectribeを例にとると、あのゴムのパッドの感じよりも0と1が明確でいいなと思えます。そしてTR-RECや音色・キット選択などの、どのモードにも入っていない状態のときに、あの4色に色分けされた並びになるのですが、テンションの上がりかたが違います。
デモを見せていただいて驚いたのが、Traktorとの連携の手軽さ。USBで繋いでTraktor側でオーディオI/Fを選択して、マスタークロックでMIDIをSENDするだけ。TR-8側のBPM表示が消えて、Traktorでプレイしている曲のBPMに追従するので、キックやスネアを足して行ったり、リッチーホウティンごっこをするなり。TR-8側ではEXTERNAL INと同じ外部入力信号の扱いなのでSCATTERのルーパー、リバース、グリッチ系エフェクトもバリバリも効くし、サイドチェインでダッキングもかけられる。
やーこれ、DJだったら絶対やってみたくなりますよ。クリス・リービングとかみたいにMaschineでサンプルを叩くDJは結構いるけど、こっちのほうがミキサーセクションもあってより臨機応変に対応できるし、何より使える音だけがピンポイントで入っているシンプルな楽器なので。単純に手数の多いテクノのDJでの話ですが、DJの定義を拡張するようなイメージです。
例えばTraktorでなくてもAbleton Liveとかでも。もしくはPCでなくても手動で同期してもいいし。というか私はCDJメインなのでやるとしたら手動なのだけど、FINEつまみで微調整してBPM合わせできることが分かったので、これ積極的にDJで使いたいです。特訓したい。
オリジナルの808/909に追加された要素、たとえばキックとスネアのコンプなんて、音を聴かせてもらって思わず「ずるい!」と言ってしまいました。だってコンプ、普通はなんだか難しいし効いてるんだか効いてないんだか、効いたと思ったらかえって薄くなっちゃったりとか、ほんと苦労したものだけど(今も)、ツマミをぐいっとするだけでジャストな音になるんだもんね。ずるいよ。
いろいろと、シンプルではあるのです。言ってみれば、基本は808と909の音しか出ないわけだし、ツマミによる変化のレンジとかもオリジナルに忠実とのことなので。曲作りという側面においては、GrooveboxやElectribe SX/MXのような統合環境では決してなくて、アイデア次第で組み合わせて使う、モジュールのひとつというイメージで。敢えて特定パートだけアサイナブルアウトで出した先で、さらにごにょごにょするとかもアリだし。
と言いつつ、実はリバーブの種類も選択できて、ディレイのセクションにも隠しエフェクトがあったりで、知恵と勇気でかなり個性が出せるような気もしています。お金をかけずにその情熱を時間にかけるだけで乗り切れるのがテクノだと思うのです。テクノは忍耐という松武先生のお言葉もあるし。
TB-3
TR-8のインプレッションだけで無限に語れそうなので、他のも。そもそも、リズムマシンのTR-8とベースシンセのTB-3、ボイストランスフォーマーのVT-3と鍵盤シンセのSYSTEM-1で「AIRA」なのですが、単に私が特別興味があるのが最初のだったってだけで、長くなってしまいました。
TB-3です。タッチパッドです。前の記事でも触れましたが、私は基本このUIの改変に関しては大賛成で、古くはRB-338で挫折した自分にも、これならいけると思わせてくれました。というか何をどう聴いてもTBの音でした。ジャンル的には、アシッドに対してそれほど思い入れのない自分でも、例えばHardfloorなんか高校生のころからずっと聴いてきてライブも何度も体験して、やっぱりビヨビヨは憧れであって。ResonanceいじりながらCutoffぐりぐりしたいじゃないですか。
ステップを移動することで、パッド上で即座にパラメータを俯瞰することができます。つまり、そのステップがどのキーなのか、休符なのかスライドなのか、LEDの点灯状態で分かるようになっていました。また、再生しながら任意のステップ数に変更することも普通にできて、3とか5とか9とかのドープなループにするよねっていう。
自分の場合は、曲で使うときはあまり派手じゃないフィルター閉じ気味の音にするのですが、途端に超低域がブンブン言い出して、ビリビリ来ます。早く茶箱のレイオーディオとかで聴きたい感じでした。なので私はこれ買います。でも"Fish & Chips"完コピするには2台要るよね…。
VT-3
外部入力の音に対してリアルタイムにエフェクトをかけるVT-3。そういえば昔こんなのあったよね、ってググったら、おぼろげな記憶を遥かに超えたドラッギーな配色でしたね、VT-1。
私は歌モノを作ったりDJ中にMCで煽ったりできない人なので、先週の発表当時これはスルーかなと思って、でも一応動画見ちゃおという感じでYouTubeの動画をいくつか見てみたら、純粋にテクノロジーのすごさにびっくりしてしまいました。あんな、一時期みんな結構大変そうだったケロケロボイスが、こんな簡単に出るんだという。そしてフェーダーによるピッチ変化がまた異様なほどに滑らかで、初見で笑わない人はいないよね。
教えていただいたエフェクトのなかで意外におもしろかったのがMegaphoneで、ハウったときのキュイーンという激烈なノイズのなかで、サウンドシステムにとってヤバいところを押さえてあるので、安心してハウリングノイズを嗜めるという、マニアにはたまらない仕様になっていました。こういうの好き。
SYSTEM-1
シンセサイザーSYSTEM-1。ちっちゃ!って感じです。もちろんGAIAとかより全然小さくて、さらに実際に並べていただいて比較できましたが、SH-101よりもひと回り小さいです。TR-8よりはちょっとだけ大きい。
ローランドっぽい、武器っぽい攻撃的な音が出ました。JP-8000であれだけ定着したSuperSaw以降、なぜ誰も思いつかなかったという、甘栗むいちゃいました的な無邪気さで、矩形波重ねちゃいました的ノリのSuperSquare。更に三角波重ねたのもありました。
私は、自分の曲のメインの上モノとしてSH-201を使うことが多くて、というのも金物系でピッチを低くした、ギョワーンみたいな存在感のある気持ち悪い音がすぐ作れるからなのですが、SYSTEM-1のデフォルト音源はそういう飛び道具的なニーズにも応えてくれそうでした。
ミキサーセクションですべてのオシレータのボリュームを切って、フィルター発振だけで綺麗なサイン波が出るのはびっくりしてしまいました。いまだに、シンセサイザーの理屈がよく分かっていないので、こんなことが起こり得るということすら知らなかった。
だいたいこの、TR-8を超えるパネル上のツマミ密度、ちょっと狂気すら感じるかっこよさ。これだけまだ、発売は先とのことで、個人的には導入するかどうかはまたじっくり検討する機会があればいいなと思います。
余談
これを言い始めると本当にキリがないのですが、高校1年生のときにSC-55でDTMの門を叩き、MC-303でテクノの何たるかを身をもって学び、そして同時期のインターネット上でのコミュニケーション(「Unofficial MC-303 Site.」で知り合った仲間とは今も交流が続いています)それらとシンクロする形で初めてのレイブ・クラブ体験を経験してきた自分にとって、昨日のことは、ほとんど夢のなかのような出来事でした。
ローランド社を訪問して、AIRAのようなストレートで力強いメッセージを持った製品を現在進行形で作っている方々に対して、いかに自分がハードウェアに愛情をもってテクノを続けてきたかを、たどたどしくも伝えることができたのは、一介のユーザーにすぎない自分にとっては身に余ることだと感じています。こんな機会があるなんて。全然、売れたり評価されたりっていうことのない音楽活動だったけれど、地道に続けてきて良かったです。どうもありがとうございます。
Inspiron 580のSSD化
メインマシンのHDDの調子がどうもおかしいなというのは、ここ数か月の様子でなんとなく気がついていたのですが、今朝Windows 7を起動したら「ハードディスクの問題が検出されました」という、見たことのないアラートが。どうも何らかの自動のディスクチェックの結果、障害が発見されると出るらしく、危険な兆候っぽい。
ちょうど今サブマシンも出払っていて、緊急事態ということで、この機会に以前から考えていたSSDへの換装を実行することにしました。
コンピュータというものを使い始めてじき18年になりますが、実は私はハードウェアのトラブルに遭ったことがほとんどないのです。なので、よく聞く「HDDが逝った」みたいな状況にもなったことがなくて、まず兆候が分からない。異音がするとか言うけど普段からけっこうガリガリと音はしていたし、動作がなんかこれ…重くない?みたいな。で、デフラグしても改善する様子がなかったりとかはしました。
そして、いざ交換してみるかとなると具体的な交換の手順がまったく分からない。何ごとも経験してみないと身につかないもので、単に運が良かっただけとはいえ、トラブル知らずってのも良し悪しですね。
とにかく基礎知識がなくて、こういう概説的な情報ってどうも検索だと探しにくい。それでも、いくつかの断片的な情報を繋ぎ合わせて、なるほどこんな感じなのかなあと。で、目当ての製品を絞っていって、善は急げってことでヨドバシドットコムで店舗取り置きをしてもらって(ものすごく便利)、速攻でSSDを入手しました。
Intelの530シリーズってのの240GB、24,800円でした。もっと安いメーカーのもあるようでしたが、とにかく右も左も分からないので、一番面倒くさくなさそうなのを。ケーブル類、3.5インチベイに取り付けるマウンタ(金属板とネジのセット)も付属しているし、なにより、簡単にデータを丸ごと移行できるソフトウェア「Intel Data Migration Software」が使えるということで。
そう、まず実際にやってみるまで判然としなかったのが、OSの再インストールは不要なの?ということ。そしてもし再インストールが必要な場合、DellのマシンでOSのインストールディスクがないため、手元にある自分で最初に焼いたリカバリディスクだけで可能なのか。パーティションは?というかBIOSの触りかたも分からないけど、みたいな。
結果的に言って、私の場合OSのインストールとかリカバリとかまったく要らなくて、Intel Data Migration Softwareによる丸コピーで問題なくいけました。具体的な手順はこうです。
- 不要なファイルを外付けHDDに移したり削除したりして、新しいSSDの容量に収まるまで減らす(Cドライブのみの移行はできないため、パーティションを分けていればその合計のサイズ)。
- 電源を切り、SSDを接続。まずSSDをマウンタに小さいネジで固定する(まだケースには固定しなくてもいい)。繋ぐのは電源ケーブルとSATAケーブル。前者は、自分の場合はHDDから繋がった先にもうひとつぶらんとした同じ形のが余っていたのでそれを差して、後者はSSDに付属の黒いケーブルをマザーボードの空いているSATAポートに繋ぐ。この時点で元のHDDはそのまま。
- EscかF2を押しながらBIOSを起動して、SSDが接続したSATAポート上で認識されているか確認。メニューを辿っていけば、どこかでSSDの製品名まで確認できるはず。
- 接続が確認できたら、Windowsを起動してIntel Data Migration Softwareをダウンロード、インストール&実行。Intel製SSDが接続されていて、なおかつ移行元HDDのサイズがSSDのサイズ以下であれば、先に進める。
- すぐにWindowsのシャットダウンを促されるので、指示のままに。OS外で自動的にデータのコピーが進行。コピーが完了すると(60GB弱で15分くらい)、終了ボタンをクリックで電源が落ちる。
- HDDのSATAケーブルを外し、SSDに繋ぎかえる。要はHDDがポート1に差さっていたら、それを外してSSDを繋ぐ。マウンタをケースに固定。古いHDDは、使わなければ外すなりなんなり。
- 電源を入れて、いつものようにWindowsが起動して普通に使えれば完了です。おまけでIntelのSSD最適化ツール「Intel SSD Toolbox」をダウンロードして入れてみたり。
私の場合、HDDのデータが既に900GBくらいあって全然240GBのSSDに入らなかったので、手動で必要なものとそうでないものを分けつつ、別の外付けHDDにバックアップするのにかなり時間を取られてしまいました。普段からやっていればこんな苦労は。おかげさまで、かなりファイルの整理が捗りました。
それ以外で詰まったところは特になくて、本当にびっくりするほど簡単。もっとなんか、ちまちまソフトを入れたりとか面倒くさいと思ったら、しれっと起動してしまって。なんかケーブルも逆に繋ぐと爆発するとかなくて安心しました。
それにしてもSSD、分かっていたけど静かだし速いし最高です。このマシンも丸4年だけど、近頃またPCけっこう高いし、もうしばらくはこれで頑張ります。ひとまずは、マシンを買い替えるような事態にならなくてよかった。
Roland AIRAの感想とレビュー動画のまとめ
昨日14日、噂のAIRAシリーズの全貌がようやく公開されました。
808、909、303の音を忠実に復刻。Roland AIRAがベールを脱いだ! : 藤本健の“DTMステーション”
http://www.dtmstation.com/archives/51887614.html
ICON ≫ 96kHzで音を生成して出力する“ハイレゾ電子楽器”、ローランド「AIRA」…… 実際にそのサウンドを聴き、触れてきました
http://icon.jp/archives/7088
Analog Circuit Behaviorということで、根強いアナログ懐古に対するローランドの答えは、あくまでデジタル技術の追求でした。ブレない、力強いメッセージと感じ、個人的には100%支持したいと思います。
そもそも、アコーディオンやチェンバロといったアコースティックならではの楽器を電子的に再現する研究を地道に続けてきたローランドにとって、これは全く真っ当な選択なわけで。アナログサウンドは、技術の進化によってデジタルでも完全に再現できる。そういう考えは、骨董品の愛好家ならともかく、テクノロジーを信じている技術者やあるいは特にテクノという音楽に関わってきた人たちにとっては、ごく自然な態度だと思います。
問題は、「いま現在の技術」でそれが本当に可能なのかということですよね。
デザインに対しては賛否あるようですが、私はいいと思います。単純に、パネルが操作子でぎっしり埋まっている密度の高さが。それから、特に良いのはTB-3で、まず外観の再現から入るクローンが多いなか、敢えてゼロベースで見直したのは大英断だと思います。だいたいTB-303だって今のような使いかたを想定して設計されたわけじゃないでしょう。あのUI、私にはものすごく分かりにくい。
タッチパネルの使い勝手は、実際に触ってみないことには何とも言えないけれど、TR-8がボタンを採用しているのに敢えてTB-3では感圧式タッチパネルというのは、それなりに合理的な理由があるはず。きっと。
気になるのはscatter機能。volca beatsのstutterと響きは似てるけど全然違って、ルーパー、リバース、グリッチ系エフェクトを簡易的に統合したものと考えればいいのかな。これ、動画だとあくまでデモ的な意味合いで「やりすぎ」感が出てしまいがちだけど、控えめに使う分には悪くないのでは。
さて、あれこれ具体的な情報を得たうえで、買うのかどうなのかということでいうと、まず、TR-8は買います。これはもう自分にはたぶん必要なやつ。あとTB-3も。VT-3はとりあえずは要らなくて、SYSTEM-1は、もうちょっといろいろ音を聞いてみたいです(プラグインとして使えるシンセにも追加情報がありそうだし)。
今回は敢えてこういうマーケティング戦略を取ってきたのだと思いますが、昨日の17時のタイミングで、一斉に事前撮りしたと思われる動画の公開がYouTubeで始まりました。興味があったので、あれこれ観てみて、製品の特長がよく分かるもの、パフォーマンスの内容が良かったものを、以下にいくつかピックアップしてみます。
機能解説
まずはローランドのBrandon Ryan氏による、ある意味オフィシャルなTR-8のデモ。機能に関してのひと通りのインストラクションがあります(とても滑らかな営業トーク!)。同様に、TB-3、VT-3の丁寧な解説ムービーもあります。
ユーザー目線での機能解説は、sonicstateのこちらのちょっと長い動画が良かったです。知りたいと思ったことはここでだいたい。ステレオアウトのほか、任意のパートを2系統まで出力できる端子があって、かつUSBだと全パートパラ出しできるとか。また、各パートには808系、909系とバラバラの音色をアサインできることとか。
実演
R&BスタイルでのトラックメイキングにAIRAシリーズを使う実演。MIDIキーボードで鳴らしてPCのDAWに打ち込んでいく様子です。さっそく使いこなしている感が。
ライン録りではないけど、909サウンドの鳴りの雰囲気がよくわかるデモ。まさに、こういう音が出るフィジカルなリズムマシンが欲しかった。
5分間黙々とTB-3を触っているだけの動画。気持ちいい。寝っころがって延々と操作していたい。
クラブのような鳴りのところで、2人で複数のTR-8とTB-3をプレイしている様子。
アーティストインタビュー
ローランド公式チャンネルでは、アーティストによるファーストインプレッションをまとめたクリップがありますが(AIRA - Artists make first contact with AIRA - YouTube)、ほかにも次のようなものが。OrbitalのPaul Hartnollへの、なんだか砕けた雰囲気でのインタビュー。値段を聞いてびっくりするリアクションがいいです。
こちらは808 StateのGraham Masseyへのインタビュー。
いまのところは以上です。
AIRAシリーズのグローバル公式サイトはこちら。
AIRA | Roland
http://www.roland.com/aira/
映画『パッション』
バッハの受難曲を聴き始めて、そもそものイエス・キリストの受難のストーリーに興味を持つようになりました。マタイの対訳(音楽の森 バッハ:マタイ受難曲 第一部 歌詞対訳)とか、とても分かりやすいヨハネのあらすじ(《ヨハネ受難曲》の物語)とかなども読んでみて、大枠は掴めたものの、登場人物の心境の変化や舞台のイメージなどがいまひとつ具体的に想像できない。きっと、キリスト教圏の人にとっては幼い頃から馴染みの深い物語で、絵画なりなんなりで細かいディテールにも親しんでいるのだろうけれど。
そんな折、たまたまYouTubeで受難曲を検索していたら、ある曲にメル・ギブソン監督による映画『パッション(The Passion of the Christ)』の映像を当てているものがあって、目を惹かれた。血だらけのイエスが、鞭打たれながら十字架を背負って歩く凄惨なシーンで、コメント欄がかなり荒れており、多くがクリスチャンによるものと思われる非難の言。私はかえって興味を持ったので、元ネタの映画を観てみました。
本作は、2004年に制作されたアメリカ映画。イエスの捕縛から磔刑のシーンまでを、概ね福音書などに忠実に描いたもので、前述のとおり私が読んだ(そしてバッハの曲として聴いた)受難のストーリーと、細部にわたって一致するものだった。登場人物の台詞はすべてアラム語とラテン語で、そのあたりは良いなと。HBOの"ROME"みたいな歴史大河ものと比べると、リアリティの点において脚色が多すぎるのは仕方ないとしても、自分のような素人に対しても、破綻のない具体的なイメージを喚起させるに足るだけの情報量はありました。
ほぼ時系列に沿って、キーとなるシーンを追いつつ、ところどころに回想を挟むような構成。2時間、オチが分かっているお話で間を持たせるのは大変だろうなと思いつつ、意外と集中して観ることができました。鞭打ちや十字架に架けられるシーンは、確かにかなり痛々しく、敬虔な信者がこれを見てなお平静を保つのは難しいんじゃないかというのは、想像に難くない。
最後まで観て、自分のなかではいくつかの点がクリアになりました。初め不思議だったのが、総督ピラトがギリギリまで自らの手で刑を下すのを渋ったシーンで、さっさと結論出せばいいのにと。これはつまり、属州の統治に頭を悩ませていたという背景があってのことだったんですね。ヘロデに判断を委ねるものの突き返されて困る場面とか、なるほどと思いました。そもそも裁判のシーンは、何も知らないとちょっと映像ではイメージしにくい場面ではあります。
また、裏切ってイエスの居場所を洩らしたユダが、すぐに後悔して自死を選ぶまでの心の動きとか、十字架刑を熱烈に叫ぶユダヤ人の群衆心理だとかも、映像が付くことで確かに理解しやすい。その意味では、ものすごく分かりやすいお話になっていました。
感心するのは、つくづくこの聖書における受難のストーリーが、論理的に非常に強固な構造であるという点。例えば、イエスやマリアを除く、ここに出てくるほとんどの人間は、愚かで不完全な存在として描かれます。裏切りのユダ、イエスとの関係を三度否認するペトロはもちろんのこと、冒頭で約束を破って居眠りをしてしまう弟子たち、猜疑心に取りつかれた祭司たち、暴力に酔うローマ兵、扇動される民衆、そして自ら決断できず流されてしまう総督ピラト。
一切キリスト教を信じない私なんかにとってみれば、イエスの奇跡のエピソードの荒唐無稽さに比べて、これらの人間の「人間らしい」愚かさの表現だけが異様に具体的で、いわば「あるある」のレベルでリアルなのが奇妙に感じられるところです。だけどこれはおそらく、一度信仰に踏み入れたキリスト教徒にとっては、自らの愚かさや無力さを実感すればするほど、信仰が補強されるようにできているのだと。そして、このストーリーが古来多くの人にとって悲劇的な生からの救い、心の拠り所として必要とされる理由も、今ならなんとなくですが、想像できるような気はします。
サタンが出てくるあたりの脚色は、本作独自のものだと思うのですが、ここは正直ちょっとよく分かりませんでした。あとまあ、イエスの死後、大地震が起きたり復活したりするわけですが、本編の描写がリアルなだけに、お約束とはいえもやっとしたものが。
史実としてどこまでが本当なのかというのは、寄ってたかってバイアスがかかってしまった今、想像だけで滅多なことは言えませんが、きっと大元になったできごとはあるんでしょう。で、それが何千年を経た現在も、世界を席巻する宗教のひとつとなっているというのは、誰が作ったのかやはりこのストーリーの完全性、構造的な強固さを感じずにはいられません。世界最大級の二次創作ジャンルの元ネタとして、美術、音楽、建築、文学などに果たした役割の大きさも含めて。
この映画自体が、熱心なクリスチャンであるメル・ギブソンの手による大変に偏ったものであることは承知の上なので、それを踏まえて、もっと色々と学びたいとは思いました。
AKG K451とK240 Studio
ちょっと前にヘッドフォンを買い替えた話。
オーディオにはさほど凝るほうではなくて、普段そんなに情報収集をしているわけでもないし、もっと言うと細かい違いが分かるほどの自信もない。なので、他の人から薦められたものだったり、ブランド頼りだったりで、あんま迷わず信頼性のあるものを。AKG製品に行きがちなのはここ数年来の傾向です。
K451
まず、出先で使うヘッドフォンとして、去年買ったインナーイヤーのAKG K321が全然ピンと来なくて(AKG K321とLogicool m235 | EPX studio blog)、これだったらPanasonicの1000円しないやつのほうがずっといいなという。そこで色々探して気になったのがK451でした。
サウンドハウスで6,980円。現物を見てみて、他のAKGのポータブルと比べてヘッドバンドが安っぽくない作りだったのと、試聴してみた印象も良かった。これまでは外ではカナル型のインナーイヤーばかりだったため、この手のタイプで音漏れがないか気になっていたのですが、思っていたよりも密閉感があり、よほど爆音でなければ大丈夫そうです。
音としてはわりと明確にドンシャリ系。比較的フラットな印象のあるAKGのリスニング用の感じとはまったく違って、でも雑にまとまって聞こえるような感じでもなく、楽しいです。アコースティックな音も悪くない。というか、音的にはインナーイヤーとは比べるべくもなくて、もっと前からこれにしていれば良かったなと思いました。
本体側のプラグを切り替えると、iPodに対応した音量リモコン付きのケーブル(付属品)に交換できる。あまり評判はよくなさそうですが、個人的には物理ボタンで操作できるのがかなり便利です。
…関係ないけど、そもそもiOS7のミュージックプレイヤーのUIおかしいですよね。次の曲に送るボタンの数ミリ下に、音量を最大化するスライダーがあって、タッチを誤ると耳が死ぬの。なんの罠なのかあれ。
先日のBody InformでDJのモニタ用として試してみたところ、全然いけました。定番のMDR-Z700DJよりも細かい音のニュアンスがよく聞こえるために、かえって自分のDJが前よりヘタになったように感じるという弊害?はあるものの、慣れたらこっちのほうがきっと良さそうです。
今のところ特に不満もなく、これは買ってよかった。ヘッドバンドが若干短いので、頭の大きい人は合わない可能性もあります。ヨドバシとかの大きめの店舗にはだいたい置いてあるようなので、試着&試聴をおすすめします。
K240 Studio
上のいきさつとは関係なく、たまたま年明けにサウンドハウスのサイトを見ていたら、いまだにK240 Studio (K240S)の新品が買えるのを知って、しかも8,780円とか爆安で。これ、8年前の2006年に曲作り用のヘッドフォンを物色しているときに薦められた、当時既に定番だった製品。黒と金をキーカラーにしたデザインも好きで、なんとなく憧れがありました。
けれど、そのとき買ったのはK301 XTRA。以降、メインで愛用してきました。
これは、ポップな見た目に反して、脚色が一切ないものすごくフラットな出音で、このヘッドフォンで私の世界は変わりました。まあ、今でも作る音の出音が良くないとすれば、私のマスタリング技術がヘボいだけでヘッドフォンのせいではまったくないのですが、少なくとも鑑賞者として格段に情報量が増え、音楽生活が豊かになりました。大げさではなく。
さすがに8年以上使い込んで、外見上の経年劣化も目立ち始めていました。まずイヤーパッドが固くヒビ割れてきて、交換パーツを探したものの見つからず。モデル自体はとっくに廃番、デザイン的にはほぼ後継機のようにして出たK530(白いやつ)を買い逃してしまったのも痛かった。
そこへきて、このK240S。ついでとばかりに、こちらもサウンドハウスで注文してみました。
実際に聴いてみてまず驚いたのが、今まで使っていたK301とほとんど同じ聴こえかただった点です。テクノでもクラシックでも。特段に解像度が上がったと感じることもなく、ほんとに同じような心地よさ。つまり今までのK301が、定評のあるK240S並みに、やはり良かったんだなということ。前者はいまひとつマイナーな機種で、当時から全然話題に上ることもなかったので、ある意味今回K240Sと比べてみてようやく自信が持てた。
側圧もだいたい同じくらい緩く、パッドが耳全体を覆う形状になっていることもあって、眼鏡の上に長時間装着していてもまったく痛くならない。ただ、密閉感はこちらのほうがあって、より没入できるような印象はあります。
すごく低音が出るとか、そういうタイプではないので、クラブミュージックだけを聴く場合は必ずしもベストではないと思います。弱く感じるかも。けど、アコースティックな音は本当に気持ちよく自然に鳴るし、クラブミュージックをやる上でも、この出音に慣れておくのは私にとっては必須のことだと感じています。
そんな感じで、しばらくはこの2つを使い分けていこうと思っています。
松居直美「J.S.バッハ:フーガの技法」@ミューザ川崎シンフォニーホール
初めてパイプオルガンのコンサートへ行ってきました。場所はミューザ川崎シンフォニーホール、松居直美さんによる演奏で、曲はJ.S.バッハ最晩年の(とされている)未完の大作「フーガの技法 BWV1080」全曲。
実はこのコンサートいわくがあって、本来は、3年前の2011年3月12日に開催される予定だったのです。私は前売りも買っていて、当日を楽しみにしていたのですが、ご存じの通り前日に震災があって、しかもミューザ川崎では天井の仕上げ材が落下するという事故が起こる。コンサートは中止となり、ホールは長い休止期間に入ってしまいました。
それから2年におよぶ修復工事を経て、2013年4月にホールは再開。無期延期となっていた当公演も再度企画が立つ運びとなり、晴れて3年越しでの実現となったわけです。
本作「フーガの技法(Die Kunst der Fuge)」は、14のフーガと4曲のカノンからなる作品。私が初めて聴いたのはグールドによるオルガン版(コントラプンクトゥス9までの抜粋)で、次いでコープマン盤(チェンバロ)、ムジカ・アンティクヮ・ケルン盤(器楽アンサンブル)、それにヴィオール・アンサンブルのFretworkによる全曲録音、高橋悠治氏によるシンセサイザー版、なんていうのも聴きました。途中でぷっつり途切れている未完のフーガの扱いかたも含めて、本当に色々な解釈の余地が残されている作品です。
さて、初めて生のオルガンの音を聴いてみて、かっちりしたコンサートホールのオルガンだからか、概ねCDなどで聴いた印象と大きな差は感じませんでした。本場の教会のオルガンなどはまたまったく違うそうですが、わりと残響もすっきりしていて聴きやすいクリーンな感じ。ただ音色によっては、広いホール内の空気をまるごと満たしてしまうような迫力があったり、逆に囁くような繊細な響きがあったりで、その立体的なダイナミクスが実感できたのはコンサートならではでした。
あと、オルガンのビジュアルのインパクトはやはりありますね。縦横10mにも及ぼうかという威容、5248本もの大小の金属パイプを備える巨大メカとしての楽器の迫力は、改めて目のあたりにすると狂気のようなものが。しかもホールの高い位置にあって、暗闇のなかにスポットが当たると、そこだけが浮かび上がっているように見える。観客に背を向けて演奏する姿も、私にとってはなんだか新鮮でした。
松居さんの演奏は淡々と澱みなく、しかし力強いもので、休憩なしの2時間弱に及ぶ全曲演奏中、終始一貫して集中力とペースを保っておられました。コントラプンクトゥス1のあと少し間を空けて、以降は連続して。重厚なフーガがある一方で、コントラプンクトゥス9やa3の三連符の鏡像フーガみたいな、踊るような作品はあくまで軽快に。
オルガンならではの、鍵盤ごとの音色の違いによる声部の弾き分けは、確かに分かりやすいところもありました。と言っても、単純に片手がひとつの声部を担当するわけじゃないし、絶えず交錯するので、やはりきちんと聞き分けるのは私にはすごく難しいけれど。ストップ操作をしている様子が一切なくて意外だった。今のオルガンはなにか電子的に操作しているのでしょうか。
最後の未完のフーガ、B-A-C-Hの音型はもっとさり気なく入っていたような印象だったのですが、改めて聴くとものすごく主張していますね、これ。叫んでいるような感じ。そして最後は譜面通りに途切れて、今回は、コントラプンクトゥス1を再度演奏して終わりました。この終わりかたいいですね。誰かが書いていましたが、CD聴いててここでプツッと終わると、何もない宇宙に放り出されたようで不安になる。ゴルトベルク変奏曲のように最初に戻ってくるというのは、長い宇宙旅行を終えてちゃんと地上に帰ってくるイメージで、いいなと思います。
アンコール、挨拶などは無し。かえってこの点から、複雑な経緯を経て実現した本公演に対する、松居さんの強いメッセージを感じました。
ここからは余談。
聴きながらぼんやり考えていたのは、「フーガの技法」の楽しさを、他種の芸術でどう例えればいいかということ。つまり、ミニマルな主題が執拗に繰り返されることによる恍惚、昂揚感というのは、例えばテクノのグルーヴとほとんど同一のものだと私は考えている。でも、たぶんそれだけじゃない。
「フーガの技法」は、一般的にはきっと、"難解"とされる部類の作品になるのだと思います。カンタータのアリアのように口ずさめるメロディーもないし、受難曲のようにドラマチックでもなく、各曲の表題も「正立形主題による4声単純フーガ」みたいに事務的でそっけない。そもそものフーガの主題が、なんだか地味で暗いし。それでいて全曲聴くとなるとたっぷり1時間半はある。ぱっと聞いて同じような単調な音が、ずうっと続くわけです。
例えば…クラシック音楽の、もっと言うと現代音楽とかの先鋭的な芸術に対して、「分かる/分からない」という評価軸があります。この芸術は自分には分からない、とかね。これが個々人の感性の違いに基づくものである場合、分からないものを「分かる」ようになるのはすごく大変だと思います。もしかすると、永遠に分からないかもしれないし。
だけど私の印象では、「フーガの技法」に代表されるようなバッハ作品の場合は、たとえ一見難解であっても、これとは全然違う。分かろうとする(主体性をもって聴こうとする)と、必ずその分は「分かる」ようになるのです。つまり、純粋に厳格な法則性に基づいて編まれた物理の教科書を読んで、世界の複雑さの一端を知るというか。
以前BBCのドキュメンタリーで、大バッハのことを、芸術家というよりも、「音に関する自然の法則を発見して体系的に編纂した物理学者」というように評していた方がいました。好きとか嫌いとか、感性の次元の話ではないからこそ、誰にでも「分かる」可能性のある、ある意味で万人に開かれた作品なのだと思います。
私も、もちろん全体像が分かったわけでは到底ないけれど、迷宮の入口くらいには立っているのかな。今回の念願のオルガン全曲演奏、脳をフル回転して聴き入っていて、あっという間に感じました。こんな興奮はバッハでしかないし、やはり今のところは、他の芸術には例えようがないです。
「フーガの技法」に関連して、過去にこんな記事も書いていますので、ご興味があれば。
シンセサイザーと「フーガの技法」 | EPX studio blog
http://www.epxstudio.com/blog/2012/0102_the-art-of-fugue-on-synthesizer.html
コミティア107、ありがとうございました
鏡像フーガの本を手に取っていただいた皆さま、どうもありがとうございました。例によって単独参加のため、ほとんど動けなかったのですが、本当に色々な方が来てくださって。
実は、改めて確認してみて分かったのですが、私が初めてサークル参加したコミティアが、2004年2月22日の「COMITIA 67」でした。なので、今回でちょうど丸10年。10年!早いものです…。
多少は進歩があるといいのですが、当人としてはさっぱり。別段、何を目指しているとかもなくて、仕事との折り合いもついているので、その時描きたいものを描いてきました(描きたいものが何か分からないこともしょっちゅうだけれど)。しかし作品が誰にも、誰の手にも取ってもらえなかったとしたら、とてもここまで続けては来れなかったと思います。
ところで昨日、会場でティアズマガジンを読んでいて、前回のコミティアでの売り上げ分布グラフを何気なくTwitterにアップしたら、2800RTもされてびっくり。グラフは毎回実施されているサークルアンケートに基づくもので、ご覧のとおり横軸を売上冊数、縦軸をサークル数としていて、最も多いのが1~4冊で132サークルという。次に多いのが5~9冊、0冊のところも少なくなくて、逆に1000冊以上売っているサークルはゼロです。そして、このグラフは前回が異常に売れなかったのではなくて、コミティアはだいたい毎回こんな傾向です。
確かに、私も初めてティアズマガジンでこのグラフを見たときは意外でした。そのときは、うちのサークルの本が売れないというのは知っていたけど、みんなそうなのかと。コミケとかでの、二次創作同人誌に関するちょっとバブリーな話なんかを聞いていると、より意外に思うのかも。
コミティアって作家のレベルも高いんだけど、読み手のレベルも高い。つまり、100円200円安いから買うというのはまずなくて、内容が良くなければタダでも立ち読みで終わる。無論、作家にとっては100円のコピー本だとしても心血を注いだ作品は値段なんかつけられないほどの価値があるわけで、それが手にとってさえもらえないというのは、これほど残酷な環境はないわけです。批判されるならまだしも、無関心無反応というのは、これは辛いですよ。
そういうなかで10年単位で続けて来られるのって、やはり、回数は多くなくても、直接作品が人の手に渡る瞬間に立ち会える喜びがあるからだと思うのです。少なくとも私はそうで、そりゃあ、どこが気に入ったのかとか聞いてみたいことはいっぱいあるけれど、特に何もなく「ありがとうございます」で本が渡せるだけでいい。たまには感想ももらえたりして、知り合いの作家さんなんかも増えてきたりして。でもそれって、もう数そのものはあんまり関係ない。ゼロが続くのでなければね。
そんなわけで、私はまたいくつか嬉しいことがあったので、次からも続けていけそうです。既刊を全部買ってくださったり、内容を褒めてくださった方ありがとうございます。それにスケブ頼んでくださった方、断ってしまってすみません(あまりアドリブに対応できないのです)。
今回の本の内容については、また後日ちょこちょことサークルのサイトで補足するつもり。引き続き、鏡像フーガをよろしくお願いいたします。