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『まどか☆マギカ』を観た

日記2013-11-20 22:28

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観たので、ネタバレを避けて感想を。

まず、私自身はこの作品にそんなに入れ込んでいるほうではなくて、正確にはTVシリーズすらも通して観ていないのです。ちょうど本放送のときに1話を観て、そのときは、ふうんという感じでピンと来なくて。で、震災を挟んでネットでにわかに話題になり始めて、大まかなあらすじだけ追った状態で、ラスト3話をまとめて本放送で観て、これはすごいなあと。

見逃したTVシリーズもいずれ追っかけるつもりでいたものの、機会がなくて、ようやくこの前地上波で放送された劇場版の前・後編を通して観ました。こっちは、ほぼTVシリーズを忠実になぞった再構成版と聞いたので(404 Blog Not Found:奇跡も、魔法も、あるんだよ - 作品評 - 魔法少女まどか☆マギカ)、一応ひと通りの筋は追ったつもりです。

通して観ると、ものすごく密度の濃い完成されたお話で、改めて感激しました。あんなに全編通して暗い、つまりは誤魔化さずに主題に真正面から向き合った話だとは思わなくて。突飛な仮定を、抽象化された概念、あえて記号的に描かれたキャラクターによって、物語に神話的な普遍性を与える。これはもう本当に宗教のやり口で、アニメというメディアでしかできない表現が多々含まれていたことを考えても、ちょっと別格の、この世代の聖典として扱われるべき作品だとは思います。

1話みたいな、アニメっぽいアニメに対しては、私も苦手意識が先行してしまったので、浅野いにおさんの作品評には共感しました。いまにして思えば、あれこそが仕掛けだったわけです。

コミックナタリー - [Power Push] 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」特集、浅野いにおが「まどか☆マギカ」魅力語るインタビュー (1/4)
http://natalie.mu/comic/pp/c_madoka_magica

それを踏まえて、今回の『[新編]叛逆の物語』。
私は端的に言って、蛇足と感じてしまいました。もちろんあってもいいけれど、無くても。

つまり本作は、本来のTVシリーズの完全性にケチをつけたり、引っくり返すような野暮なことは一切していないけれど、その代わり、説明していなかったことに対してものすごーく補足説明している。そして、説明しようとすればするほど、深みにはまっていくように見える。さらっと流せばいいものを、そこは妥協しないんだというか。
持ち上げておいて落とす、みたいなところはOPで既に示唆されていて、慣れた視聴者はもう分かってるから、あとはそれがいつ来るかハラハラしながら見届ける感じに。映像表現に関しては驚きもたくさんあって、後半はほとんどビデオドラッグのようなヤバい画面の連続。

あのお話に続きがあって、それを誠実に描くとしたらこうなってしまうというのは、分からないでもないです。これを作った人は、完璧主義者なんだろうなと思いました。

しかしそれでも、私はこれは蛇足だと感じてしまう。例えば、本作では新たな用語や登場人物が出てきて、それらについても定義が必要だと思うのだけど、十分とは言えない。書くとネタバレっぽくなるので書きませんが、要は難解すぎるんじゃないかなと。

より具体的に言えば、本編のカタルシスはどこにあるのかというと、バトルで敵を倒すことなどではなくて、ラスト何話かのあの畳み掛けるような種明かしにあるわけです。いわば作品ジャンル的には、SFミステリーだと思うんですけど。あの解答編によって、そこまでに出てきた用語の定義が、短い文章で簡潔に説明できるくらいクリアに明示される(事実、新編の公式サイトではキャラ紹介文に全部種明かしが書いてある)。
対して、新編がそこまで明確な解答をしているかというと、そうではなく…なんというか、根本的に違う見せかたをしているんですよね。そこが自分には難しくて。

それとも、私の理解が及ばないだけで、事前に参照しておくべきバックグラウンドがあるのかなあ。哲学とか宗教学とか。TVシリーズ本編は、それが「魔法少女ものアニメ」のようなごく卑近なものだったからこそ、現代の聖典としての普遍性を得ることができたんだと思うのです。

ところで、本編で私が当初ピンと来なかったのは、本作における「友情」の表現が、ほかの一般的な芸術表現における「愛」と同じくらいの、いびつなウェイトで描かれていることでした。女の子同士の感じかたは分からないにしても、中学生のときの友情の感覚って、そんな?みたいな。ただ、それも劇場版前・後編を通して観たら、その重さというか表現上の意味合いは、ある程度は実感として理解できた。確かにいびつかもしれないけれども、この筋書きの上でなら納得というか。

それが、新編ではさらにその上を行くスケールになっていて…、ほむらのまどかに対する感情がちょっと凄すぎて、表現としては分かるのだけど、実感できる形では理解できなかったです。そのあたりがなんだか、これはちょっと過剰な「おまけ」だったかなと思わせてしまう所以なのかも。作り手の完璧主義と、サービス精神の現れなのだろうから、届くべき人々にはきっと届いてるんだろうなとは思うのですが。

だとしても、本編は本編として、新編は新編としてあっていいはず。このあと、何か次の展開を用意しているのか、それならそれで楽しみではあります。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語
http://www.madoka-magica.com/

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