あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。
評判がいいことだけは知っていて、この9月にかけてオンエアされていた『あの花』テレビ版再放送を、PS3のtorneで録っていました。ここ数日間で、その全11話をまとめて観たので、ちょこちょこと感想を。先に結論を書いてしまうと、どうもハマれなくて距離を取って観ていたつもりが、気がつくと最終話でボロッボロ泣いていました。
普段アニメを見ない人にこそおすすめ、なーんて話を聞いていて、そういうつもりで観始めたものの、序盤からアニメ記号ばっかりなんですね、これ。まず、自分を全肯定してくれる幼い女の子がベタベタしてきて、それを邪険に扱う主人公、っていうオタクのテンプレシチュエーションが個人的に大嫌いで、まったく入り込めなかった。それでいて、他のキャラクターも「記号化」されすぎていて、こんな人間いないでしょ、ってずっと思いながら観てた。
青春を描いたアニメとして、どうしても『坂道のアポロン』と比べてしまいたくなってしまうのだけど、『アポロン』がリアルで生々しい人間像を描いているのに対して、『あの花』はその描写が非人間的というか偶像的というか。現実の人間はそんな話しかたをしないし、そんな行動原理で動かないし、この極端に戯画化された人間っぽいなにかはなんだろう、アニメとかマンガでは見たことあるけど、みたいな。
記号化が悪いってわけじゃなくて、それが相応しい作品もある。けれど、『あの花』は実在の小道具や場所を使って、多くの日本人にとって「あるある」のシチュエーションを題材にしているだけに、なんか不自然さを感じてしまった。私は、自分自身をオタクになりきれないオタクだと思っているのだけど、それをして「オタクの人はこういうのが好きなんだろうな」と思わせてしまう、非現実感。
で、そんな感じで微妙な距離感とフラストレーションを抱えたまま、全11話中の10話まで漫然と観進めてしまったのですが、最終話がもう。けっこう、今までのそういう考察はどうでも良くなってしまい、全部の伏線を端から回収して、魅せたい場面を見せつつ、何段階もテンションを上げてくる演出に圧倒されました。声優さんの演技も素晴らしかったんだと思います。そうか、この作品はこの最終回があってこそだね。
このカタルシスがどこにあるのか考えたんだけど、最終話で、キャラ全員がそれぞれの想いの丈を洗いざらい打ち明けるシーンがあって、これが10話までとの鮮烈なコントラストになっている。それまでは、型どおりのキャラクターを「演じて」いるふしがあったのに、ここで急に人間らしい人間になる。自らの本当の弱さをさらけ出すことって、多くの人がしたくてもできないと思っていることで、そこを斜に構えずストレートにやってくれたのが良かった。青春ものはこうだよ!
少年期から青年期へ移るときの喪失感って、なんとも単純には表現し難いものがあって、それはきっと多くの現代人が共有している「何か」なのだけれども、それを(たとえ非現実的な記号化されたアニメキャラによってでも)まさに核心を突くかたちで明確に描いたというのは、凄いことだなと思います。だから評価されているんだな。
私はこれ、普段アニメ見ない人におすすめかというと、ちょっと迷う。確かに、キャラクターの絵は文句なくかわいいし、何気ない仕草の表現も魅力的でした。むしろ『まどかマギカ』のように、入り口のとっかかりは単純にカワイイ系だけども、最終話で全部持って行かれるパターンだと思います。なので、1話を観始めてしまった人なら、あまり自分には向いてないなと思ったとしても、最後まで観たら感想が変わるかも。私は楽しめました。