バッハの思い出
つい先日、移動の合間にちょこちょこと読み進めていた山下肇訳『バッハの思い出』(講談社学術文庫、1997年)を読了。
この本はいわくがあって、講談社学術文庫版で著者名に「アンナ・マグダレーナ・バッハ」とある通り、バッハの2番目の妻が書いたという体(てい)で発表されています。しかし実のところ、本作は20世紀初頭のイギリス人作家エスター・メイネルが発表したフィクションであって、本当にバッハの妻が書き残した作品ではありません。このことは明白な事実のはずなのですが、ダヴィッド社版の初版から60年を経た今流通している第13刷(2010年発行)おいても、いっさい注記や訂正がないという点が、講談社に対する非難の元になっているようです(Amazonのレビューなど)。
確かに読んでみると、バッハの妻が書いたにしては不自然な点が多々あって、例えば、バッハに関する今日有名なエピソードが余さず盛り込まれていることとか、無数の作品の中から特に現在高い評価を受けている作品を中心に言及しているところとか。いかにも、後世の人が書いたっぽいんですよね。
にしてもこれ、ファンアートっていうかつまり、二次創作ですからね。熱狂的なバッハ・オタクの女性が、彼の妻になりきって書いた「バッハの回想録」!それを、日本の独文学者が(多少の疑念は抱きつつも)本物と信じて、真面目にわざわざ独語版から翻訳したというから、コメディーというか何というか。まあまだ戦後間もなく、古楽への理解も今ほど十分ではなかった時代の話なので。
事の成り行きの是非はともかく、内容は、バッハ好きにとっては大変楽しめるものでした。文体がこれがまた品のあるやさしい日本語で、好みが分かれるところだと思いますが、私はけっこう好きでした。楽しい本です。
ついでに、バッハや古楽関連では以下の本を読みました。
- 磯山雅『J.S.バッハ』(講談社現代新書、1990年)
- 磯山雅『バロック音楽 豊かなる生のドラマ』(NHKブックス、1989年)
- 200CD古楽への招待編纂委員会『200CD クラシック音楽の探究 古楽への招待』(立風書房、1996年)
加えて、いま現在次の本を読み進めています。
- 杉山好『聖書の音楽家バッハ』音楽之友社、2000年
- Johann Nikolaus Forkel, Charles Sanford Terry "Johann Sebastian Bach, his Life, Art, and Work"
前者は、主に『マタイ受難曲』をモチーフとして、宗教的・音楽的にかなり踏み込んだ内容の論文集で、自分のような初心者には難しいものですが、少しずつ理解していければと思っています。
後者は、1802年にヨハン・ニコラウス・フォルケルという人が書いた「J.S.バッハに関する最初の伝記作品」の英訳で、AmazonのKindleでフリー(!)で販売されているのを見つけました。Kindle Paperwhiteに入れています。
もしも何か新しい作曲でちょっと戸惑いしたり、すぐにはよく呑みこめなかったりしたときには、わたくしはもう二、三度も続けて、聴けばよいのでした。それでそのメロディーの線と好ましいものの意味はたちどころにはっきりして、最初どこか馴染めぬところのあったのも、みんなわたくしが鈍感だったせいであることがわかりました。
(『バッハの思い出』p.248)
最近ふとしたきっかけで、まだ未聴だった「無伴奏チェロ組曲 第2番 BWV1008」をYouTubeで聴いてハマってしまいました。無伴奏曲はチェロもヴァイオリンも、一見してあまりにも地味でストイックな性格のために、どうしても敷居が高いように思えて手が出なかったのですが、何度か聴いていくと、不思議と馴染んでいくことが分かりました。他のバッハ作品と同じですね。今年の前半は、このあたりから掘り進めて行こうと思います。