シンセサイザーと「フーガの技法」
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年ひとつめの記事ですが、こんな話題でも。
去年、YouTubeで見て、最も感激したビデオのひとつです。ノリノリのヒゲのおっさんが、J.S.バッハの「フーガの技法 BWV1080」のうちの「コントラプンクトゥスIX」を、声部ごとに歌い(?)分けた音源を、ステレオで多重録音したものです。これは何をしているのかというと、いわゆるトークボックス(トーキング・モジュレーター - Wikipedia)というやつで、口に咥えたチューブで音を鳴らし、それを口の中で反響させてマイクで拾うことにより、ヴォコーダー風のエフェクトがかかる、という手法ですね。最近でもたまにやっている人がいて、WIRE07にも来たSpirit Catcherがライブで使っていました。
このビデオ、とにかくバッハによる原曲のドライブ感を、表情とアクションで見事に表現していて、ハマります。後半で急加速するところなんか麻薬的だし、オチの下画面のドヤ顔でいつも笑ってしまう!制作したDJ Paradiddle氏は、他にもこういう変わった多重録音系のビデオをいろいろ作っているらしいです。
さて、この「フーガの技法(The Art of Fugue / Die Kunst der Fuge)」は、バッハが極めた対位法による楽曲形式「フーガ(ひとつ以上の主題が、さまざまな声部に繰り返し現れる)」の美しさ、完全性を象徴する作品として知られています。上のビデオでは、4つの声部がステレオで明確に区別されているので比較的聞き取りやすいのですが、同じ曲で、この構造がもう少し分かりやすいビデオがありますので、そちらを。
MIDIノートを色分けして視覚化するソフトウェア、Music Animation Machine (MAM)の開発者として有名なStephen Malinowski氏による自演で、同作品から「コントラプンクトゥス(Contrapunctus=Counterpoint=対位)IX」です。このピアノロールを見ると、導入からまったく同じ音型がアルト、ソプラノ、バス、テノールの順に現れて、その後も何度も何度も、異常な密度で繰り返される様子がよく分かります。しかも鍵盤上では、4つの声部を完全に2本の手だけで弾いている!自分のように楽器が弾けない人に言わせれば、これはもう魔法のようにしか見えません。
氏によるバッハのフーガの解説ビデオのなかでは、昨年12月に公開されたばかりの同作品「コントラプンクトゥスIII」があり、これは声部の色分けのほか、主題、対主題が楕円と円などの形で表現されているなど、更に分かりやすくなっています。見ていると、脳の普段使っていない部分がじわじわしてきますね。4コアのCPUがフル稼働せざるをえない感じ。
で、実はここからが本題。
「フーガの技法」は作品中に明確な楽器の指定がなく、一般にはチェンバロやオルガンのような鍵盤楽器のために書かれたというのが定説になっていますが、要はどんな楽器で演奏してもいいのだろう、ということになっているようです。加えて、この曲があまりにロジカルで数学的なことから(かどうかは知りませんが...)、シンセサイザーに演奏させてはどうか、という試みを行った方々がいます。
その先駆者が、現代音楽家の高橋悠治氏。彼が1975年に発表した「フーガの[電子]技法(The [Electronic] Art of the Fugue)」は、バッハの同作品から7曲を抜粋して、Moog-Type 55とEMS-Synthi 2という2つのシンセサイザーを使って録音した作品です。興味がある方はニコニコ動画(高橋悠治『フーガの「電子」技法』(1975) ‐ ニコニコ動画(原宿))で聴いてほしいのですが、いまは廉価盤が極めて手に入りやすく、大きめのCD屋に行けば1,000円そこそこで買えます。
Amazon.co.jp: フーガの「電子」技法: 高橋悠治: 音楽
また、西洋音楽史家の坂崎紀氏は、1981年にRolandのアナログシンセサイザーSystem 700とシーケンサーMC-8を使って「コントラプンクトゥスVIII」を録音していて、ご本人が、当時の貴重な音源をYouTubeにアップされています。打ち込みはCV/ステップ/ゲートによる数値入力で、完成には1ヶ月を要したとのこと!気が遠くなりますね。
ちなみに、「フーガの技法」の"機械"的な演奏としては、グレン・グールドの1962年のオルガンでの録音が有名です。私も同作品で最初に聴いたのがこの音源だったのですが、音色が、あまりにも一般的にイメージされる「オルガンの音」とはかけ離れていて、ピコピコしたシンセの音に聴こえたのでびっくりしました。しかも、テンポが均一で極めて抑揚がなく、シーケンサーに自動演奏させているよう。それが、この曲のロジカルな雰囲気にぴったりだったのですが。
これを坂崎氏は、1987年の論文「計算機と音楽の接点」のなかで、以下のように評しています。
カナダのピアニスト、グレン・グールドが、バッハの《フーガの技法》(BWV 1080)の前半9曲をパイプオルガンで録音している。この作品のオルガン演奏では、筆者はこの他にH.ヴァルヒャとマリー=クレール・アランによるレコードを持っているが、この3者の演奏を比較してみると、グールドの演奏が全般に最も速く、テンポが一定であり、アーティキュレーションが鋭く、メカニックで無機的な印象を与える。この演奏について、ある評論家は「私は宇宙船を操縦したり飛ばせたりする人たち、精密機械技師たち、あるいはレーサーたちの冷静不敵な顔を思い出す」と述べているほどである。筆者はたまたまシンセサイザとコンピュータによる自動演奏システムを使う機会があったので、この《フーガの技法》から2曲選び、グールド風のテンポとアーティキュレーションでデ-タを作成してみた。その結果わかったことは、一般には機械的といわれているグールドの演奏も、本当の機械=計算機による自動演奏に比べればはるかに人間的なニュアンスに富んだものであるということだった。
【PDF】坂崎紀「計算機と音楽の接点」音楽情報科学研究会編『コンピュータと音楽』[『bit』1987年9月号別冊]共立出版
このグールドの盤も、ソニーから廉価盤が出ていて、どこでも買えます。私は、これでハマりました。
そして以下は蛇足ですが、自分でも、MIDIの助けを借りてシンセサイザーでの「フーガの技法」を録音してみました。パブリックドメインのMIDIファイル(パート譜)を4トラックに分け、それぞれにTweakbenchのフリーのファミコン(NES)風ソフトシンセVSTi「Triforce」を割り当てて、DAWで編集したものです。曲は「コントラプンクトゥスI」。
各声部に割り当てた音色は、パルス波をベースに、右端にパンを振ったバスから左端のソプラノまで、三角波成分を少しずつ増やしています。聴感上の気持ちよさを優先して、適当にパルスの比率を変えているので、まったく厳密ではありませんが。
元日の夜から何をやっているんだろう、という感じですね...。
昨年、本当は3月にミューザ川崎で、オルガンの松居直美さんによる「フーガの技法」全曲のコンサートに行く予定だったのですが、震災で中止になってしまいました。もちろん、機械的な演奏だけではなく、昨年購入したムジカ・アンティクワ・ケルンの弦楽4重奏版も大好きです。このCDは本当に素晴らしかった。他の楽器での録音もいろいろ聴いてみたいと思っています。